2010年03月04日

五月人形 横浜 の関連情報

五月人形 横浜と聞いたら皆さんなにを連想しますか?

現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るし、菖蒲湯(菖蒲の束を浮かべた風呂)に入る風習が残っている。まあ、このようにさすが「人形の街浅草橋」といわれるだけあって、老舗が勢ぞろいしています。実際にご自宅に飾る場所とのマッチングも大事ということです。五月人形は別名、「武者人形」とも呼ばれます。人形ではなく、鎧兜の飾りを、「兜飾り五月人形」などと呼ぶようです。本来は、魔除けに最も効果 絶大なのは、鍾馗様なのですから。

宮中では菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜った。宮中の行事については奈良時代に既にその記述が見られる。(節句の項目を参照のこと)この日を端午とする風習は、3世紀の中国、楚で始まったとされる。かつての貴族社会では薬玉を作りお互いに贈りあう習慣もあった。典型的なこいのぼりは、5色の吹き流しと3匹(あるいはそれ以上の)鯉のぼりからなる。ある時一匹の鯉が激しく落ちる滝水に逆らいながらも、懸命に滝を登り切ったまさにその時!鯉の体はまぶしい光を放ち輝きながら龍へと変身し、悠々と天に昇っていったというお話です。

鎧飾りの兜より、兜の大きさは大きくなり、吹き返しや装飾の金具の精密などで豪華に作られています。江戸甲冑とは、武家の実戦に用いられた鎧兜と同じ制作技法でつくられたものですから、派手な装飾はなく落ち着いた重厚感が特徴になります。さて登竜門の故事はとてもロマンチックで、昔々中国の霊山に「竜門」という滝があり、その急流の滝を登り切った鯉には霊力が宿り、龍になると言われていました。もともと端午の節句は、悪鬼や災厄を祓うのが目的で(詳しくは「端午の節句のいわれ」を参照下さい)、武家屋敷の塀や門に柵を作り、幟(のぼり)や兜・槍・なぎなた等を並べてる外飾りでしたが、やがて鎧兜を着せた武者人形を飾るようになったそうです。相場は、6・7万〜30・40万までの間になると思います。実際に武田信玄愛用の「楯無の鎧(楯をも必要としない頑強な鎧と言う意味)」は、代々武田家のご神体で、現在も山梨県塩山市の菅田天神社に奉られています。

さて、五月人形の飾り方についてですが、雛人形と比べてみると、どうもこれが決まりというものはないようです。テレビコマーシャルにも力を力を入れているので、地方の方でもおなじみかもしれません。このような考えから端午の節句では、鎧兜を戦いの道具ではなく、身体を護るものという意味でとらえるようになります。蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていた。文武両道の象徴とされる神武天皇と病魔からの守護神である鍾馗様は、ちょっと見は怖いのですが、むしろ怖いくらいの方が邪気が寄ってこないと考えられたのでしょう。) 戦後になると、鎧兜・鯉のぼりに加えて、神武天皇と鍾馗様をワンセットで飾ることが主流になります。

人形ではなく、鎧兜の飾りを、「兜飾り五月人形」などと呼ぶようです。
五月人形の飾り方も大きく分けて、関東風の平飾り、関西風の大将飾りと区別して呼ばれることもあるようですが、どちらの場合でも同様に、鎧兜を中心として、その左右に弓矢と太刀、後方には屏風などを立て、前方に陣笠と軍扇を配します。
「兜飾り五月人形」は、兜を中心にした飾りで、両側に弓と太刀の飾りを添えて飾るのが一般的です。


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